「・・・」
 俺の目の前には、木の枝に引っかかった風船を見上げている子供が一人。
 時々飛んだり、背伸びをしたり・・・。子供がその小さな手を高く上げようとする。
 ひょい、と
「あっ」
 俺が取ってやると、子供は目を輝かせて、俺にこう言った。

「お兄ちゃんすごいや!」
 


『HERO』



 夕暮れ時。楽しげな話し声が零れる頃。
 全体が白で統一された、豪奢でありながら清楚さを漂わす建物の、もっとも見晴らしの良い景色が眺められるこれまた豪奢な部屋の窓辺。部屋の住人は、そこに行儀悪く腰を下ろす人懐っこい笑顔を浮かべる青年と、その行儀の悪さを咎める事無く青年に分厚い本を読み聞かせる、老眼をかけた痩せ型長身の品のある中年の男の二人だけ。
 男が青年に読み聞かせているのはアリアノスが書いた『アレクサンドロス大王東征記』。いわゆる英雄伝記である。
 この・・・老人とも言えない男が少年とも言えない青年に本を読み聞かせている様は、驚くほど違和感が無く、まるで祖父と孫の――父と息子の団欒のようだった。

「――小アジアに渡ったギリシャ軍30,000はグラニコス川の戦いで ミトリダテスの率いるペルシャ軍4万と対峙した。このとき派手な甲冑を身に纏っていたアレクサンドロスは騎兵の先頭に立ち、自ら馬を駆って突進すると敵将ミトリダテスを投げ槍でしとめた―――・・・さて。今日はもうこれでおしまいだよ、ジュニア」
「えー何でさ!夕飯にはまだ時間があるだろ?それにそんな中途半端に話をきられちゃったら、気になって仕方が無いよ」
 男の言葉にすかさず不満を訴える青年。見た目は十代後半だというのに、その言葉遣いや言動はそれに見合わず子供だった。
 男は困り顔で青年に言い聞かす。
「ジュニア。これから私は妻と劇を見に行く約束があるだよ。前々から言ってあっただろう?それとも、キミも行く気になったのかな?」
 男の言葉に青年は面白くなさそうに顔を俯かせ
「何でそう言うかな。俺があの演劇、好きじゃないの知ってるくせにさぁ」
 一言そう呟いた。
 それから暫く夕暮れに染まる街を眺めながら「あーあ。ヒーローが大活躍するような活劇だったら良かったのに」と、何度目かも分からないような文句を連ねた。
 この青年は出会った頃から、意図しているのか、はたまた素なのかは分かりかねるが”ヒーロー”という単語を良く使う。少なく見積もっても一日に一回は必ずその単語を口にする、そんな英雄願望の強い子供だった。
 そんな、何処にでもいるような子供らしい思考と態度をとる青年を眺める男は、この時間の安穏さと、彼がその思考を持つ意味の重さを、そのしわがれた肌で感じていた。


 迎えの馬車が邸宅前に止まった。それを窓越しに確認してから、男は青年から渡された外套を羽織り、青年と部屋を後にする。
「じゃあ、行って来るよ。ジュニア」
「ぶー。じゃあ帰りにまた新しい本を買ってきてよ」
「また伝記・英雄譚モノかな?なら、今度は自分で読まないと。私は何時でも本を読んであげる事は出来ないし・・・それに、キミは一人で読み書き出来るだろ?」
 何時ものやりとり。
 男が大統領になった頃からの、男以上に国民に愛される青年との。この国自身である青年との、安穏過ぎるほど決まりきったやりとり。
 だから、男は訊かなくてはならなかった。
 今この瞬間に、教えなくてはならないと思った。彼の為にも。もしかすると―――男自身の為にも。
「ジュ・・・いや。アメリカ―――キミは、ヒーローになりたいかい?」
「決まってるじゃないかエイブ!ヒーローって強いだよ!?悪者なんてケチョンケチョンに出来るんだ!」
「・・・」
 青年―――アメリカは、何の陰りもない笑顔でエイブと呼んだ男に答えた。しかしそれとは対照に男の方の表情は暗く重い。
「いいかい、アメリカ。私の話をよく聞いておくれ。

 ―――私はね、キミにヒーローになってほしくないんだよ」

 男の言葉によって、アメリカから笑顔が消えた。
 笑顔の奥にあったのは・・・不満やもどかしさ、悲しみが入り混じったような、何とも形容しがたい憂いの顔だった。
「――なんで・・・そういう事言うのさ。エイブは俺の上司で・・・俺の味方だろ?なのに――「そうだよ。私はキミの味方だ」
 アメリカの言葉を遮って、男は良い意味で彼の予想を裏切った言葉を口にする。
 男の言葉を聞いたアメリカは、ほっと安堵の息をつく。それと同時に、アメリカは困惑の色を露にした。何で?そう言いたげな顔だった。
「いいかい、アメリカ」
 男はそのまま言葉を繋ぐ。
「”ヒーロー”という存在は、”生贄”なんだよ」
「――?」
 意味が分からない。そう言いたげなアメリカは小首をかしげる。
 それでも男は言葉を繋ぐ。
 何時でもいい。何時か・・・分かって欲しいから。
「キミの言うとおり、”ヒーロー”―――英雄という存在は確かに強い存在だ。単純な武力だけでなく、知力、精神力、カリスマ性。そのどれをとっても常軌を逸した才覚を持っている。それはひとえに、とても素晴らしい事だ」
 ――けれど。と、男は目の前のアメリカを見つめる。
「力を持つが故に、英雄はあらゆるものに束縛されてしまう。政治や利権に、貧富や不条理に、人や国に――。
 キミの場合なら――それこそ世界に縛られてしまうだろう」
 アメリカはもう・・・静かに男の言葉に耳を傾けていた。
「大きすぎる力はあらゆるものを得る可能性はあれど、全てを得られる訳じゃない。――もしかしたら、得られるものの方が少ないかもしれない。何かを得る前に、終わってしまうかも知れない」
 それはきっとすごく怖い事で・・・すごく、悲しい事。
 それが男が、アメリカに英雄の物語を語り聞かせるようになってからの見解だった。

 英雄と語り継がれる者達の終焉の、その殆どが報われないものばかりだ。自殺、暗殺、戦死、病死、裏切りの死など・・・数えればきりがない。
 人は何時の世も英雄達を求め、それに応えるように英雄達は現れる。
 そして彼の者達は人を、世を救う。そこに在るのが善意だろうと悪意だろうと、何かしら救っている。
 ――しかし人は、彼の者達を救った事などない。
 罰することしか、破滅的な終わりしか与えない。
 救ってもらった恩すら忘れて、人は彼の者達を切り捨てる事しかしない。

 ――それでは、あまりにも彼の者達が不憫ではないか。

 だから――ジュニアよ。
 どうか”英雄”に・・・”ヒーロー”とは名ばかりの生贄にはならないでおくれ。
 キミ自ら、破滅を手にしないでおくれ。


「――エイブ。俺はね、自分は臆病者だと思ってるんだ」
 暫くして今度は男の方が、意味が分からない、という顔をした。
「俺は自分が大事だし、俺の事心配してくれるエイブも大事なんだ。それから、―――・・・」
 言葉の途中で、アメリカは言いづらそうに目線を下に逸らす。その様子を見咎めた男は、後方で馬車と控えていた御者を下がらせた。
 それから男はアメリカを安心させる為に、彼と目線を合わせて微笑んでみせた。
 男の笑みにアメリカは穏やかな、それなのに辛そう顔で――

「それから、今でも俺は――イギリスが大事なんだ。初めて出来た・・・”家族”だから」

 泣きながら、笑いながら。初めてアメリカは、男に自分の心を語った。
 この時初めて、男はアメリカが泣いているのを見た。
「俺は・・・自分が大事だったから、独立したよ。でも、イギリスを嫌いになった訳じゃないんだ。独立すれば、きっと、イギリスと同じ場所に立てると、思った、んだ・・・」
 ぽつり。ぽつりと。アメリカは男の前で泣きながら語る。
 男は黙って、アメリカの独白に耳を傾けた。
「俺はね、エイブが大事だったから・・・ちょっとでも一緒に、何かをしたかった。だから、読める文字も、我侭言って読んで貰った。俺の好きな話を、本を、読んで貰いたかった」
 泣きながら語るアメリカを、男は我が子をあやすように抱きしめる。
「・・・俺はね?イギリスが大事だったから――強くなりたかった。イギリスより・・・強くなる必要があったんだ。だから・・・独立した。そうすればきっと――

 俺がイギリスを守ってやれると、思ったから」

 男の目の前に居る、少年のような無邪気さとわんぱくさを持つ慣れ親しんだ青年は―――もう大人の顔をしていた。
 アメリカの独白を最後まで聞いた男は、

 ――ああ。なんだ。
 この子は私のような人間が心配するような・・・弱い子ではなかったのだ。

 何か悟ったように、彼に優しく微笑んだ。
「もういい、分かったよジュニア。もう私は・・・キミを止めたりしないよ」
 男の言葉にアメリカは臥せっていた、泣き過ぎて目が赤くなっている顔を上げる。
「けれど一つだけ・・・約束しておくれ。それはね―――・・・」


 その約束が、男とアメリカが交わした―――最後の言葉だった。
 

†・‡・†


「――ねぇ、どうかしたのお兄ちゃん?」
 反応がない俺に不安げに尋ねてくる子供。そんな子供の不安をよそに、俺は当たり前の言葉を口にする。
「――当然だよ。俺はヒーローだからね」
 そう――当たり前の。今はもういない彼と約束を交わしたあの日から始まった、当たり前の言葉。


『約束しておくれ。それはね・・・後悔しない事。たとえどんな見当違いがあっても――自分を否定しないでおくれ』


   ――ねぇ、エイブ。
 俺はヒーローになれたかな?
 俺は、貴方に心配かける事のないヒーローになれたかな?
 俺は―――

 イギリスのヒーローになれたのかな・・・?






【言い訳】

はははは。相変わらず意味が分からん話だこと!(開き直るな。
メリカの話のハズなのに某大統領の割合の方がでかいです。何故だろ?(知りません。
某とか書いてるけど多分バレバレだよね。ホラ、妻と演劇へとか書いてる時点で。

何だかメリカが予定以上に子供で女々しくなりましたが、こんなんでよければどうぞ!
それから調子に乗って二つもお題を頂かせてもらい、本当にありがとうございましたぁあああ!!!(全身全霊の平伏。