|
物心ついた時から……母は罪を背負っていた それは最早、償いの機会すら奪われてしまっていた負の遺産 だからこそ、自分の目に映る母は何時も儚い存在だった 生前も……その、死後ですら…… 其の十二の二・春日山情景〜上杉謙信〜 何時の間にか……訳も分からず、知らない場所を走っていた。 周りは木、木、木。木と草ばかり。緑と茶の二色と光だけ。 そんな場所を通る山道――上り坂だったから、なんとなくそう思っただけ――をひたすら走っていた。 別に、止まらなければいけない理由があるわけもないからいいのだが――― ――その逆、走り続けなければいけない理由もなかった。 なら何故、我は走るのか。 ならば何故、止まる事が出来ないのか。 そんなもの知らない。我が聞きだいくらいだ。 ふと周囲を見渡してみれば、知らない内に木々の割合が随分と減り、所々硬そうな色合いの土や岩肌が目立つようになった。 道の勾配も、少しだが高くなったようにも思う。 ―――この先に……一体何が……? そんな事を考えている内に、目の前が開け、そこだけ森林が取り除かれたような広い空間に抜け出た。 枝葉を縫うように頭上から降り注ぐ陽光が少し眩しくて、思わず頭を抱えるようにして日の光を防ぐ。はた……と、如何でもいい事に気付いた。 ―――……そういえば……日の下に最後に出たのは、何時だったっけ……? ものの数秒で光にも慣れた。 とりあえず、前に進んでみる。するとすぐ、目の前には巨大な城門が現れた。 その立派な造りの門を見て、ふと違和感。 ―――どこかで見た事…ある、かな? でも―― ―――お城なんて、今まで見た事もなかったのに…… なんとも不思議でこそばい感覚を覚える。でも……良く分からないけど……不快ではなかった。どちらかというと、スッとした気分になった。 吸い寄せられるように城門へと歩み寄る。まるで蝶や蜂になったみたいだと思った。 すぐ近くまで来ると、城門はとてつもなく巨大になっていた。圧迫感すら感じさせる程の規模が確かに目の前あるのに、門扉に指先が触れた途端、嘘みたい気分が軽くなった。 不安感が消えてしまった。 恐怖心が逃げ出していった。 圧迫感が吹っ飛んでしまった。 焦燥感が霞んで見えなくなってしまった。 ――そして……何をそんなに思っていたのか――分からなくなってしまった…… 慌てて、門扉から離れるように後ろに飛びのいた。が、足がふら付き、そこまで離れていない場所でペタリ……と、思わずに尻餅を付いてしまった。 一体何が如何なっているのか。 必死に自分自身について考えてみるが……一向に分かる気配がない。 心が軽くなったのは確か。 それを嬉しいと思っているのも確か。 ―――でも我は……忘れてはならない事を忘れている…… 漠然だけれど……それだけは、何故か分かっていた。 †・‡・† あれから一体、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。 ふと気付くと、何時の間にか――城門はまるで我を誘い込むかのように、その巨大な門扉を惜しげもなく開け放っていた。 顔をほんの少し上げてそれを見る。動く事すら億劫で、頭を少し持ち上げるだけでも苦労した。自分でも驚くくらいののろまぶりに、何だかおかしくて笑ってしまいそうだった。 目の前には白い頭巾を被った――綺麗なキレイな人が立っていた。 雪のように真っ白で……雪のように淡く輝く人が――― 「…………?」 思わず――大切な人の名前を呟やきそうになった。 良く似ている。顔立ちだけでなく、纏う雰囲気でさえ……本当に、良く似ている。 しかし――何故だろう……? これだけ鮮明にその人の事を覚えているのに、あれだけ大切に思っていた人なのに……あれだけ、助けたいと思っていた人なのに――― 何故――肝心なその名前が思い出せないんだろう……? 「まっていましたよ……もうひとりの――いえ、ここはとよんだほうがよいのかもしれませんね」 雪のように綺麗な人は、やっぱりその声も……まるで雪が溶けて染み入るような、心地良いものだった。 思わず、我は首を傾げた。 「………………?」 、、。 …。 、…… ―――アレ?『』と『』って……なんだっけ……? 不意に――雪みたいに綺麗な人が悲しそうに微笑んだ。 「おぼえて……いませんか?そのふたつのなは……たしかに、あなたのなまえなのですよ」 ―――……違う。 我は、『咎生い』。我は――『咎生い』なんだ。 名前なんてない。人間なんかじゃない。 ただの――醜い醜い、罪の権化だ。 大切な人さえ守ってあげられない……如何しようもない――役立たず。 「やはり……せんこくの"かぐらまい"のふたんが、よそうがいにおおきかったようですね。あのていどのこぜりあいではありえないことですが――ながいあいだ、ほうちされつづけたものたちがおおかったせいでしょう。―――せいりゅうに、じょりょくをたのんだはせいかいだったようですね」 「?? 青、龍??」 ―――そういえば……みんな……どこ? 今更になって、守護聖獣の気配が感じられない事に気付いた。 よっぽど顔に出ていたのか。雪のような人は柔らかい微笑をもらし、ゆっくりとした速さで我に近づいて来て、目の前でしゃがみこんだ。 本当に……きれいな人だ。 男物の着物を着ているのに、女の人にも見えてしまう。性別の判断が出来ない。 まるで……男と女の間にもう一つ区別があって、そこにこの人は当てはまるんだろうな、などとぼんやりと考えていた。 雪のような人が、顔を覗き込む。 「あんしんなさい。かれらはいま、だいじなやくめをはたしているさいちゅうなのです。いまはまだそのときではありませんが――きたるべきときがきたら、あえるてはずになっています」 ですからあんしんなさい、と綺麗な人が目を細め、もう一度我に向かって微笑んだ。 あとはもう良く分からない。 我は――もう、自分がどこに居るのかも……分からなくなっていた――― †・‡・† 春日山城は春日山山頂にある山城であり、当然、周囲は山林や崖で固められている。戦の拠点として申し分ない立地だ。 春日山城の裏城門から少し降りた場所。 裏口から伸びる山道――から外れた分かりそうで分かりづらい獣道。 上杉謙信は、なんの躊躇いもなく――まるで、通い慣れた家路を行くかのようにその獣道を堂々と歩いていく。 辿り着いた先は――小綺麗な一軒屋。 周囲は茅葺き屋根が付いた簡素な竹門と竹塀で囲まれ、一軒家はその内側の右隅辺りにあり、周りの風景とよく馴染んでいた。 庭はそこまで広くないものの、遠目から見てもよく手入れが行き届いている事が窺える。植わっている柿木や梅木は、程良い枝振りを見せびらかすように広げ、溜め池のそばで咲いている水仙は誇らしげにその花びらを揺らしている。 コツ、コツ、コツ――― 謙信が門扉を叩く。 すると、扉の隙間から一枚の紙がスルリと出てきた。 謙信がそれを掴もうとするが――紙はその身を出し過ぎたのか、彼の指先に触れる前に地面に落ちてしまった。 クスリ、と美しき軍神は苦笑い。すぐに身を屈んで紙片を掴む。 「――どうやら……うまくことははこんでいるようですね」 流れるように紙面を一通り眺めると、謙信はそう呟いた。 その呟きに応えるかのように、一つの影の塊が彼の傍らに落ちてきた。 影の塊は―――如何という事はない。女だ。 ただし――― ――その姿は……陽炎のように歪んでいるが。 「……ははうえ」 見るからに怪しい陽炎の女に、軍神は困ったように笑いかけた。 「あまり……そとにでてはなりません。おからだにさわりますよ」 『――大丈夫ですよ、景虎。あまり遠くには行っていませんから』 女の言う『影虎』というのは、この軍神の幼名だ。 「そういって、このあいだおうしゅうにいかれたではありませんか」 しんぱいしたのですよ、と苦笑すれば、陽炎女の目が幼子のように見開いた。 『――貴方、知っていたの?』 「とうぜんです。あのひはずいぶんとおつかれのごようすでしたから」 謙信が眉を寄せて文句を言うと、陽炎女は口元を隠しながら優美に笑った。 その笑顔は……たしかに、女の目の前にいる武将に良く似ていた。 『ごめんなさい、景虎。あの子の気配が現れてからというもの……早くあの子に会いたくて……。でも――やっぱり良くなかったと思うわ。私の所為で怪我人を――あの子を、また傷つけてしまった』 「はよいこです。すべてのいのちをびょうどうにあつかおうと、けんめいにいきています。―――しかし……」 不意に、謙信の言葉尻が濁る。 「やはり……じしんはそのうちにいれないよう、かたくななたいどをつらぬいているようですね」 『そう……そうよね、私達があの子を無理矢理、森からさらってきてしまったから……。私が、あの人に逆らうだけの勇気すらなかったから……』 それ以上――陽炎女の言葉は続かなかった。 女の姿が不安定に揺らめく度に、二人の間に重たい沈黙が積み重なっていく。 まるで……深々と降り積もる雪のように――― しかし――― ――だからこそ―― 「は……『』と、よばれていたようです」 ――雪は、いずれ溶けてゆく…… 「ははうえがこのとちにたどりつき、ちちうえにあいされたように―――もまた、たどりついたとちでなをあたえられ……あいされていたのです」 暖かい……春の日差しを浴びて…… 「こんどこそ――あのかなしい『とがおい』を……すくいましょう」 |